井上ひさしの「おれたちと大砲」は幕末を舞台とした歴史・時代小説であるが、なによりも青春小説として明るい気持ちで読むのがお薦め。1975年作者40歳のときに発表されている隠れた傑作である。
井上作品全般について言えることだが、どの作品においても書く前には入念に時代背景を調べ、設定に関わる事象を調べ尽くし書かれている。だからコメディーであるにもかかわらず、作品としての破綻がなく、学べることも多々ある。楽しみながら違った角度から歴史を深く理解できる。
ここに出てくる5人の若者がすべてユニークな存在である。なによりも主人公となる下級武士である土田衛生(もりお)が興味深い。その役目は尿筒(しとづつ)という。これは一体なんなんだ?と誰しも思う。彼は三尺というからおよそ90センチほどの竹筒を4本持ち、それを繋いである道具を用意する。それは江戸幕府の将軍様が儀式のときなどに、正式な装束をしてしまうと、なんとおしっこをするのが不便になってしまう。それを助けること、手伝うことが仕事なのだ。将軍様の装束の裾からその棒を股間に向けて差し込み、うまくはめ込んで尿をさせる係。え?そんな役目があるの?と現代人であれば誰しも思うものだが、そんなことをしている若者が主人公。しかし、この仕事は土田本家が独占している仕事であり、まだ主人公は将軍に近くで直接そのお役をするには力や縁故が足りない。いつか将軍のおしっこを手伝うことができる役目をしたいと夢見ているところである。
他の4人の役目はここまで特異なものではない。草履持(ぞうりもち)、髪結い(かみゆい)、御駕籠(おかご)かつぎ、そして馬方爪髪役(うまかたそうはつやく)。全員が将軍の身近なところで日々の生活を支えてゆくことを願っている若者だ。幼き頃より遊び仲間であった5人が黑手組という徳川の復権を願う小さな身内だけの組織を作る。目標は大きく、夢羽ばたいてゆく物語である。
が、そこは井上作品、ハチャメチャな展開が次から次へと続く。時代は徳川幕府の末期、最後の将軍徳川慶喜が大政奉還をしてゆく、まさに歴史の大きなうねりの真っ最中である。
最初の章「江戸」では4人が大人になって再会し、それぞれの役割で将軍のお役に立てるようにと結束していく。仲間が出会ってゆくところがいい。
第二章「横浜」では、徳川幕府をつぶそうとしている薩摩藩に対して、彼らの持つ大型船に向かって大砲をぶち込もうと計画をしてゆく。
第三章「京」では、天皇を誘拐して、幕政を復活させようと企む。時の将軍慶喜が京から大坂に逃げている中、ここでも公家の子供を使って、突拍子もない計画をたてる。
最終章「江戸ふたたび」では、上野での彰義隊と倒幕派との争いの中で最後の大騒動が勃発。やがて静かに、しかしあっけなく幕が下りる。
全編を通じてその破天荒な物語の展開で大笑いをしていたのが、やはり井上作品の神髄である深い終わり方となる。
この時代の若者達の夢はなんだったのだろうか。いや、いつの時代にも若者達はハチャメチャな中にも時代を生き、前に進む力強さがある。たとえそれが栄光を得ることがなくてもである。
この本は文藝春秋社から出版され、その後文庫となっていたが、長く絶版となっていた。2021年にちくま文庫として復活されて手に入れやすくなった。作者がなくなってすでに10年以上が経ち、今後書籍の入手が困難になってゆくかと思われるが、それにもかかわらず今回復刊されたことを悦びたい。
井上作品の考え抜かれた物語性と分厚いユーモアーを存分に楽しんでいただきたい。
2021年8月15日