夏日も増えて、梅雨一歩手前の季節、
気持ちの良い快晴、五月晴れが続くのもあと少し。
もっとも、五月晴れのもとの意味は“梅雨の間の晴れ間”らしいですが。
7月号をお送りする頃は梅雨入りしているでしょうが、
鬱陶しい気分になった時は五月晴れ気分を求めて、
そう映画館へ!
4/26~5/25、GWを含む30日間に出会えた映画は38本、例によって映画三昧で過ごしたGWもあり本数が多くなりました。特にルビッチ特集には何度も通いました。
日本映画にも面白い作品が揃い、楽しんだ1か月になりました。
The New Generationパトレイバー 首都決戦
寄生獣 完結編
龍三と七人の子分たち
映画「ビリギャル」
百日紅~Miss Hokusai~
Zアイランド
駆け込み女と駆け出し男
(古)ションベンライダー
翔んだカップル
セーラー服と機関銃
インヒアレント・ヴァイス
(Inherent Vice)
皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と影
(Narco Cultura)
ラスト5イヤーズ
(The Last 5 Years)
シンデレラ
(Cinderella)
あの日の声を探して
(The Search)
マミー
(Mommy)
ザ・トライブ
(The Tribe)
傷だらけのふたり
(Man in Love)
私の少女
(A Girl at My Door)
イタリアは呼んでいる
(The Trip to Italy)
ブラックハット
(Blackhat)
パプーシャの黒い瞳
(Papusza)
国際市場で逢いましょう
(Ode to My Father)
イマジン
(Imagine)
ゼロの未来
(The Zero Theorem)
チャッピー
(Chappie)
サンドラの週末
(Deux Jours, Une Nuit / Two Days, OneNight)
(古)結婚哲学
(The Marriage Circle)
きみとひととき
(One Hour with You)
淑女超特急
(The Uncertain Feeling)
生きるべきか死ぬべきか
(To Be or Not To Be)(再見)
極楽特急
(Trouble inParadise)
陽気な中尉さん
(The Smiling Lieutenant)
天国は待ってくれる
(Heaven CanWait)
生活の設計
(Design for Living)
牡蠣の女王
(Die Austernprinzessin)(再見)
私の殺した男
(Broken Lullaby)
真珠の頸飾
(Desire)
① 百日紅 ~Miss Hokusai~
これ程美しいアニメーションは初めてだ。北斎の娘、お栄を主人公に江戸時代末期に生きた人々の様子を生き生きと描く。2005年46歳で早世した杉浦日向子さんの原作を基に、原恵一監督が生み出した今のアニメの最高峰、見てください。
② イタリアは呼んでいる
イギリスの中年男ふたりがミニ(今やローバーではなくBMWなんですね)を駆って、イタリアを北から南へ縦断する殆どドキュメンタリー的ドラマ。バカ話の多くは彼らの職業から映画関係がほとんど、物まねもわんさかで知っている程楽しめます。スティーヴ・クーガン(「あなたを抱きしめるまで」)は知っていても、ロブ・ブライドンは知らない。この“スティーヴとロブ”の会話が、風景、グルメと共に楽しめるおすすめ映画です。
③-1 傷だらけのふたり
韓国映画もここまで来たか。この映画の切なさは主に男の行動による。自分は彼女に真実を告げて面倒見てもらうなんてことはできないという気持ちのため。どちらかといえば自分主張型人間が多いのではと思われる韓国で、こうした映画が描かれるようになるとは。
③-2 駆け込み女と駆け出し男
江戸時代末期、幕府公認の縁切り寺である鎌倉の東慶寺に駆け込んだ女たちのお話。画面の美しさに感心した。それに呼応した話の進め方も素晴らしい。原田眞人監督は今脂が乗りきっているのかもしれない。
他にもお勧めできる作品が揃っています。
●インヒアレント・ヴァイス:これ程70年代のウエストコーストを感じさせる作品は最近なかった。私にとっては二―ル・ヤングの2曲が懐かしい。
●皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と影:ドキュメンタリーで描くメキシコ麻薬戦争の現状、驚くことばかりだ。悪は常に人を引き付ける部分があるとはいえ、公然と支持する人々には驚く。
●あの日の声を探して:今もなお大国然とした力の論理を押し通しているロシアという国、チェチェン紛争時、両親を殺された少年の物語。普通のロシア人青年が戦場で変化していく様を並行して描いて、単純感動物語にはしていない。
●マミー:26歳のグザヴィエ・ドラン監督はカンヌチャイルド(カンヌ映画祭に愛された人)の一人。美意識の尖った作品が多いが、今回は真四角の画面で映画を作った。(普通サイズでも1:1.33)窮屈な主人公たちの心を見ているようでも、閉塞的な物語を表しているようでもある。画面が広がるのはこころが解放された2度のみ。この部分の効果はあるとはいえ、やはり四角い映画はあまり見やすくはない 。
●ザ・トライブ:手話の映画なので、細かい台詞はわからない。それでも大きな感情は胸に残る。今月のトピックス欄も参照よろしく。
●私の少女:キム・セロンといえば「冬の小鳥」である。あの、無口な、目で訴えてきた少女である。9歳だった彼女も15歳になる。その年にあった役を巧みに演じている。
●ブラックハット:ハッカーの世界が簡単に国境を超えて世界を巡ってしまうことを見せてくれる。国境など存在しないようだ。アメリカ、中国、香港、マレーシア、インドネシアと舞台は動く。
●パプーシャの黒い瞳:国境といえば、ロマ(ジプシー)の人たちは国境を越えてヨーロッパを放浪しているようにも見える。ジプシー初の女性詩人となったパプーシャの生涯を描いている作品。独自の生き方、文化を持ってきた民族が、他の人たちと接触することの難しさを静かに描いている。
●映画「ビリギャル」:ビリギャルから慶応合格へという実話を、彼女を教えた塾教師が書いた原作を映画化。まっとうな教育論になっている内容で、成長物語だから入り込みやすい。
●国際市場で逢いましょう:家族を支えるため長男はドイツの炭鉱にまで出稼ぎに行く。朝鮮戦争に発する苦しい状況下の家族の物語は
、経験してきた人々の共感を誘う。
●イマジン:目の見えない人が普通の人と変わらない速度で街を歩き、普通の人の中に紛れてしまう。かなりの驚きを与えてくれる新鮮な映画。ミステリアスなリスボンにも似合う映画だが、監督はポーランドの新人、主演はイギリスとドイツの俳優。
●Zアイランド:品川ヒロシの芸人根性とゾンビ好きがうまく合体されておもしろい作品になった。会話の90%は漫才のようである。会話と共にテンポも軽快。
●サンドラの週末:ベルギーのダルデンヌ兄弟は、常に真面目な題材に真摯に向き合う。病気で休職していたサンドラが復帰しようとした時、社員へのボーナスかサンドラの雇用か…?
相変わらず力強い作品群を発し続ける韓国映画界。
今月の3本も素晴らしい作品です。
「傷だらけのふたり」は、町のチンピラ家業の男と銀行員の女の愛の物語。 貸金取立てに訪れた男が出会ったのは病院入院中の父を世話していた娘、ふたりの出会いはそんなものだった。やくざな男の一方的な愛になかなか答えない女、そんなふたりがいつか愛し合うようになってもまた問題が持ち上がる。最後まで言い訳せずに愛を貫く男の切なさと、すれ違ってしまった女の無念。これは情念の世界です。
「私の少女」は痛めつけられた女と女の子の物語。
ソウルから海辺の漁村にやってきた新任警察署長は30代の女性、赴任そうそういじめにあったかのような少女に出会う。そこから始まる物語は、少女の嘘も含め、弱き者たちの心の叫びがかなりシビアに描かれる。
「国際市場で逢いましょう」は朝鮮戦争当時、北の町への中国進撃から逃れ、釜山までやってきて生活を始める一家の物語。
父母と男二人、女二人の子供4人の家族は、町脱出時の混乱で、父と末の娘がはぐれてしまう。母と子供3人の生活は家族の長としての長男にかかる負担は大きなものだった。戦後、日本でも見られたような設定での家族の物語は、韓国で歴代2位の成績を上げたのがうなずけるほど、韓国人にとってリアルだったんだろう。
3本ともくっきりした物語が語られる。題材の幅の広さも、先月までに見てきた他の作品も含めバラエティに富んでいる。さらに、見る人を飽きさせないドラマ作りの上手さも見られる。そのうまさが時にやりすぎることもあり、時に作りすぎ感を与えてきた韓国映画、それもかなり希薄になり、どんどん洗練されてきている。
今や日本の映画マーケットに於いてスタジオ・ジブリ化したと思われるディズニー、昨年の「アナ雪」以来その集客力は絶対的なものとなっている。新作「シンデレラ」が封切られた。
これまた大ヒットしていて、今年になって封切られた洋画作品の中ではトップの成績だ。今回のシンデレラは1950年にディズニーが作ったアニメーション作品と同じストーリーである。あまりにそのイメージ通りなので、面白味はない。
この前に封切られ、シンデレラも含まれていた「イントゥ・ザ・ウッズ」、大人向けの辛みの効いたこの作品でさえある程度の成績を上げた。こうなると、ディズニーが提供するということがヒットへの大きな要素である。一度信頼感を得てしまうと、あとは楽に集客できる日本の映画マーケット。反対に、一度信頼を失うと怖いのだが。このあたり寛容ではない日本社会と似ている。
●「The New Generationパトレイバー 首都決戦」はそれなりの成功とはいえるかもしれないが、残念ながら登場人物たちに、この本編の前の予告編の時のような輝き、面白味を感じられなかった。これはつまり登場人物たちがマイナーっぽい性格を持っているがために、という気がしないでもない。押井守の著書を読むと彼の性格に起因するのかなあとも思う。
●舞台ミュージカルの映画化「ラスト5イヤーズ」は5年間の二人の関係を、女は現在からさかのぼり、男は出会いの初めから現在へと物語るというものだが、2つの時の流れの区別が分かりにくい。舞台の方が、こういう設定では描きやすい。リアルに写ってしまう映画と違い、何かをアイコンとして使うことは舞台の方がやりやすい。
●漫画の力が色々な場面で活躍する日本だが、映画もその例外ではない。子供向けの作品から大人にも受けた作品まで幅広い作品群がある。「寄生獣」はどちらを向いているのだろうか?面白味はあるが、あまり賢明さは感じられない。なんだか漫画っぽさが作品世界を狭めている「寄生獣 完結編」を見ていて、限界も感じた。
●またヤクザかよというのが正直な感想、「その男、凶暴につき」以来、北野監督は一貫しているが、なんか皆でつるんでの動きがどうも好きになれない「龍三と七人の子分たち」だった。
●テリー・ギリアム(モンティ・パイソンメンバーの一人、監督作に「未来世紀ブラジル」など)は、描写の面白さが好きだが、いかにも古い感覚だなという気がしたのが「ゼロの未来」。あの頃、どこかで見たような作品という気がしてくる。
●人工知能ロボットという、今や実現に向け多くの力がそそがれているテーマを取り入れているのだが、何の知識もない状態から育っていくというアイディアは、情報をすべて持っているという今のコンピューターの状態からは想像しにくくはないか?悪の手によって育てられてしまうというストーリーは感情移入が全くできない「チャッピー」だった。
●サンドラの職場の仲間はほとんどが夫婦共稼ぎであり、さらにボーナスを当てにしているということに少し驚く。共稼ぎは驚くことではないが、ふたりが働かないと生活が厳しいという状況と、ボーナスが予定されていたということには驚く。それにしても厳しい労働条件を実感させてくれる「サンドラの週末」だ。
ついに登場したというか、全編手話の映画が登場した。
台詞が発声されることは一切ない。登場人物は全員が手話で会話をする。作られたのはウクライナ。普通に発声する映画でさえ、ウクライナ製作のものは珍しいというのに、手話の映画を作ってしまうとは!
侮れないぞ、ウクライナ。
普通のウクライナの人にとっても手話を理解するのはできないだろうから、世界のどこの人が見ても同じ条件になるという、究極の民主
主義的映画と言えるかもしれない。さらに、日本で手話が分かる人でも、手話は世界共通ではないはずなので条件は同じ。だから、ウク
ライナの手話ができる人しか完全には分からない映画ということができる。
それにしても過激な映画だ。
ここで話される手話は、なんだか過激な手の動きで行われる。状況的に戦っていたりなどの厳しい状況が多いため、普段はおとなしい人
も興奮状態で手振りが激しくなっているのかもしれない。まるで、普通の人が興奮して、大声で叫んだりするのと同じような感じだ。あ
くの強いストーリーがあるので、まったく理解できないということはないだろうけれど、細かいニュアンスはわかりづらい。
目の見えない人が登場す映画は今までにもある程度あった。盲目の人は必ずしも珍しくはない。ヒーローとなった座頭市もいる。座頭市はまるで見えているように動き、戦ってきた。しかし、彼の武器が仕込み杖だったように、盲目の人のほとんどは一人で行動する
とき杖を使ってきた。
「イマジン」の主人公は盲学校(というと誤解されるが、年齢的な幅があり大人もいる)に他のところから推薦されてやってきた教師だ。彼自身も目が不自由だが、彼は杖を使わない。周りのものを手で触っているわけでもない。“反響定位”というテクニックを使い、音が反響して返ってくるのを利用しながら、健常者と差がないほどの速さで街を歩いていく。映画の舞台はポルトガルのリスボンである。リスボンは坂の町、しかも石畳、さらに路面電車も走っている。目が見えない人にとってこれほど危険な街はないだろう。
生徒たちは彼も目が見えないということをなかなか信じない。杖なし歩行はそれほど怖いことであり、自分もしてみたいことでもあるのだろう。映画の中で、男の生徒と二人で船を探しに海岸に行く画面はその怖さがピークに達する。彼について知れば知るほど生徒たちは彼のそばにやってくる。
見えない、聞こえないといえば「奇跡の人」ヘレン・ケラーを思い出す。フランスにも同じ障害の人がいて、「奇跡のひと マリーとマルグリット」として映画化された。ただいま予告編上映中。封切りは6月6日。いずれにしても、我々普通の人に見えない何かを見せてくれる作品たちだ。
エルンスト・ルビッチ、1892-1947と55才で亡くなっている。私が生まれた時には亡くなって既に2年が経っていたことになる。ベルリンの洋服屋の息子として生まれ、16歳で高校中退して舞台俳優、その後映画俳優に。1915年監督になり、1922年にメアリー・ピックフォードの招きでアメリカへとある。
映画評論家の方々がルビッチについて書いていらしたのを昔読んだ気がする。ビリー・ワイルダー監督とのセットで語られていた気がする。その時もルビッチタッチという言葉が使われていた。素晴らしく洒落ているんだなあという気がしたものだ。
しばらく前から渋谷のシネマヴェーラ「映画史上の名作」特集の時ルビッチ作品が上映されてきたが、ついに今年、GWを挟んでの3週間に“ルビッチ・タッチ!”特集として19本の作品を上映した。
今月見た外国映画の(古)で挙げた11本はすべてルビッチ・タッチ!での作品だ。その総ての作品で男女の愛がテーマになっている。10本の作品では笑いを持って描かれる。(例外は「私の殺した男」)つまり、人生を謳歌するところから映画を作った作品ばかりだ。しかも男女の愛にあけっぴろげだ。と言って、過激な描写があるという訳ではない。時代的に無理だったこともある。それをいかに作品に昇華し、見る人を楽しませるかに心を砕いている。
よく、艶があるといわれる。艶めかしいということだろう。それだけ登場人物たちのウキウキ感が見る者に伝わってくるのだろう。
女優では、マレーネ・ディートリッヒ、ミリアム・ホプキンス、クローデット・コルベール、男優では、ゲーリー・クーパー、モーリス・シュバリエ、メルヴィン・ダグラス艶のあるスターを使っている。スターたちの生き生きとした動きが輝いて見える。
今回見た11本のうち、再見した2本以外の9本のマイベスト3は次の通り。
① 真珠の頸飾(この作品のみルビッチ製作、フランク・ボゼージ監督)
② 天国は待ってくれる
③ 陽気な中尉さん
もし、機会があったら是非見てください。
シネマヴェーラは2本立ての名画座で、入れ替え制でも、座席指定制でもない。上映途中で入場できない訳ではないが、途中から見たい人は通常いないためか、今まで途中入場する人はいなかった。終わった後、次の回から見る人たちが入場するが番号順でもなく、秩序を守ってもらえるという性善説的信念に基づいて入場していた。それで十分だったのである。
ルビッチ・タッチの上映中に、一時急に番号順の入場が実施された。想像するに、「ニノチカ」や「青髭八人目の妻」など人気作品の時、人が集まりすぎて、この性善説的信念だけでは問題が起きたのだろう。今までも入場券には各回の番号が打たれていたのである。その番号を実際に使っての番号順入場になったのである。その後、性善説に戻りましたが。
岩波ホールはここでしか上映されない作品を公開している封切館だ。ここは各回入れ替え制ではあるが、座席指定制ではなく自由席だ。久しぶりに出かけたら、入り口で番号が書かれた券に取り換えられた。この映画館はシニア料金が1500円と異常に高いのだが、私にとっては前売り券を買う価値がある嬉しい映画館なのだ。ここでしか見られない作品なので人気のある作品の場合長い列ができる。前売り券があれば券を買わずに列に並ぶことができたのである。
この映画館でも何か問題があったのだろうか?高齢者はわがままな人が多いから、文句を言う人がいたんだろうか?今や座席指定制の映画館が多い中、どこでも坐って!という自由席の映画館にも少しずつ変化はあるようです。
今月はここまで。
次号は雨真っ只中だろうかの6/25にお送りします。