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■大江健三郎略年譜

 
  
揚げソーセージの食べ方
文藝春秋  
定価:
1300円(税別) 販売中止
頁数:25頁
ISBN4-16-308250-6
初出:1984年1月号 雑誌『世界』
短編集『いかに木を殺すか』冒頭の作品       


 カリフォルニア大学バークレーの教員宿舎に滞在する「僕」つつましい食事に親しみを感じている。少年期からあわただしく食事をすることがなりわいになっていたが、あるとき共用キッチンの調理台にも使われるようなテーブルで食べているときにエンドウのさややら、ブロッコリー、もやしなんかをゆっくり味わっている自分がいた。
食事によって導かれた思いは兵衛おじさんつながってゆく。まるでプルーストの紅茶に浸したマドレーヌのように。
兵衛おじさんは寺を継ぐべき立場にあったが学費のかからない仏教系大学を避けて、早稲田大学の理工学部に進んだ。自然科学と仏教との統合を考えていたようであるが、大学の途中で故郷に戻ってしまう。噂では精神疾患のため徴兵されることもなく山羊を飼い、読書をするという生活を続ける。
終戦後25年が経て、突然おじさんは山羊5頭を連れて、東京に出てくる。新宿で浮浪者の仲間に入って生活を始めた。
 「僕」が新宿駅東口を横切ろうとしてみつけたおじさんは、
『蒲の穂のようなものを大切そうに持ち、唇と舌とで崇めたてまつる具合に、ゆっくりゆっくりそいつを味わっていた。自分の眼がとらえたものにそれ以上近づくことをさえぎられるふうに立ちどまり、僕は眺めた。肱を脇に張った右腕で、箸を一本胸の前に捧げ持ち、それに突き刺して揚げたソーセージを、ひたすら食べること自体が迷走であるかのように、ゆっくりゆっくり兵衛伯父さんが味わい、租借し、喉仏をクルイと動かしてのみこむのである。(中略)じつに確固とした思念と広大な寂しさに化石してしまったかのようだ。ただ口許と喉仏のみが、ゆっくりと敬虔に動きつづけている。・・・』

 実に見事な情景描写である。何度でも読み返したくなる。


 不思議な魅力を持ったおじさんはこの他の作品でも名前を変えて何度も登場してくる。

 

<冒頭>
     
 数日のシンポジムの発言者として、あるいは短期の客員研究者(リサーチ・アソシエイト)として、アメリカの大学の教員宿舎(ファカリティー・クラブ)に滞在する。大学の歴史が、あるいは大学人の歴史が、地道なりに洗練されているコンチネンタル風朝食に、僕としていささかの不満もない。夕食には学生たちが、土地柄の、いずれも生きいきとした暮しぶりをあらわす大学近辺で、中国料理かメキシコ料理の店に行く。そこがなかば難民に近い人たちの新規開店で、アルコール飲料の許可をとっていない場合、店の帰りにやはり学生のための酒場で、水差しに注いだビールを飲んでくる。
 

<出版社のコピー>
 
 「現代的でかつ芸術的」という批評が、若くして出発した僕の短篇への励ましだった。いましめくくりの時のはじめに、八つの短篇を書いて、そこに映る自分を見る。切実な時代の影に、個の生の苦渋のあとは見まがいがたいが、ユーモアの微光もまんべんなくある。
 思いがけないのは、女性的なものの力の色濃さだった。遠い幼年時の自分と、それほど遠くないはずに死、また「再生」を思う自分を結んでいる。知的な経験と、森のなかの谷間の神話を、懐かしく媒介しているのも女性的なものだ。(大江健三郎)



     想像力の大翼を駆って構築
     する洵爛たる小説宇宙


   四国の森のなかの谷間を舞台に、神話的伝承に支えられて
   森を防衛する勇敢な女たち。グロテスクな性、滑稽な性の
   饗宴と笑いにはじまり、優しさの極みに至る大江文学の傑作!

<おすすめ度>
☆☆☆☆☆

    
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