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■大江健三郎略年譜

  
      
宙返り 上下
講談社文庫  
解説:いとうせいこう
定価:上下共 781円(税別)
頁数:上巻516頁 下巻551頁(文庫版)
上巻ISBN4-06-273465-6 下巻ISBN4-06-273466-4
カバーデザイン:司 修 初出:書き下ろし 1999年6月 講談社刊
大江文学は再び大きくうねりだした

 ”わかりやすさ”と”わかりにくさ”が混在している小説、というのが始めて読んだときの印象であった。”わかりやすさ”は大江作品ではめずらしく三人称で書かれているから。”わかりにくさ”は新たな文体に挑戦しているからといっていい。この挑戦は勿論成功している。読後の満足度の非常に高い作品である。いい作品に触れた至福のときが味わえる。

 さて物語りは木津というアメリカに長く住み、アメリカの大学で美術を教えている画家が日本に戻ったところから始まる。「序章」ではこの物語全体で重要な役割をする人々が不思議な縁で出会う様子が描かれている。わかりにくい場面でもあるが、いったい何がこれから起こってくるのかと、わくわくするところである。この導入部分は大変魅力的である。

 瞑想をする「師匠(パトロン)」と、その「師匠(パトロン)」が瞑想でみてきたビジョンをわかりやすい言葉に翻訳をする「案内人(ガイド)」。この奇怪な名前がでてくればもう完全な大江ワールドである。村上春樹の作品でも初期の頃にでてきた「鼠(ねずみ)」は魅力的なキャラクターになっている。このイメージを特定しやすい一般的な個人名(山田とか鈴木など)を出さずに象徴的、暗示的な名前で呼ばれる人物がでてくるのが大江作品の特徴。ここのところがなじめない人もちょっと我慢して、大江ワールドに深入りしてみよう。

 「師匠」と「案内人」の作った教団は多くの信者を集めていたが、急進派と呼ばれる人たちが無差別テロを計画し、それを知った「師匠」と「案内人」は阻止をするための手段として“自分たちの行いはすべて冗談だった“と宣言をした。それは象徴的に「宙返り」と呼ばれることになった。それから十年後。「師匠」の廻りには「踊り子(ダンサー)」と呼ばれる女性秘書、同時代史を書こうとしている荻青年、若くして神の声を聞いたことがあり、また殺人も行っている育男という人々が集まってきた。そして教団は再び新しい宗教活動を行おうとしていたが、「案内人」が元急進派によって殺されてしまった。画家の木津はこれらの人々の中にあらわれ重要な役割を果たすことになる。木津は育男の美しさに魅せられ、同性愛的なつながりをもとめて近づいていった。

 物語にはさらに立花姉弟が加わってくる。弟の森生は知的障害者であるが音楽の才能がある。こうして読者はいつものように大江ワールドに導かれてゆく。

 教団は四国にある谷間の村に移ることになった。元急進派の「技師団」、コミューン的生活を送る「静かな女たち」も揃って移住をし、新たな生活再開に向かう。その土地には青少年のグループ「童子の蛍」があり、ギー少年はそこのリーダーであった。アサやサッチャンというメンバーが関わってくるなかで、教団は徐々に発展してゆく。しかし八月の集会の折「静かな女たち」が集団自決をすることが判明し、そのことを止めた「師匠」は立花姉弟とともに炎につつまれて自殺をした。

 この長い物語の終章はことさら美しい文体で描かれている。物語を終えるにふさわしい素晴らしい内容である。是非、じっくりと読んでいただきたい。教会はギー少年を後継者として運動は続いてゆくことになった。一時は癌が完全に消滅していた木津も「師匠」の死後瞬く間に癌に襲われて静かな死を迎えることになった。物語は新しい世代へと引き継がれてゆく。

 大江作品としては比較的わかりやすくすらすらと読めるのではないかと思いますが、それでも宗教をテーマに、人間の深い内面を見つめてゆく作品はやはり重い。この作品のよいところは話がさまざまに変化をしてゆき、話を追いかけてゆくだけでも楽しいこと。またところどころで出てくるユーモアもほっとさせてくれる。

 作品としては入手がしやすいのではないかと思います。ぜひともお勧めしたい傑作である。文体もしっかりと味わってみてください。
<冒頭>
 小さな人間が、やって来た。並外れて発達した筋肉と均斉のまま、小さくなったと見える
男。胸を張ったそいつが、延ばした両腕にものを抱えて、薄暗がりを進む。ブーメラン型に
連なったふたつの翼の構造物である。両方の垂れ幕が狭く掲げられて、向うは輝く舞台。

<出版社のコピー>
 急進派による無差別テロ計画を知り、実行を阻止するためにテレビで「すべては冗談でした」と棄教を宣言した新興教団の指導者・師匠(パトロン)と案内人(ガイド)−10年後、ふたりは若い協力者とともに活動を再開する。だがその矢先、案内人が元急進派に殺され、事態は急変する。希求する魂のドラマを描く、感動の長編小説。


 心傷ついた女、生涯を持つ男、信心篤い無垢な者・・・師匠は四国の森に根拠地を作る。だが棄教一度芽生えた不信感は拭い去れず、グループ間の対立燻り続ける。やがて悲劇の予感と共に教団再建の大集会が始まり、師匠は「新しい人」に全てを託す。再生と救いを追求し、”魂のこと”を求め続けた大江文学の集大成。
<おすすめ度>
  ☆☆☆☆☆      

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