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若い読者のための大江健三郎ワールド 作品紹介 |
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火をめぐらす鳥 |
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講談社文芸文庫 | ||||
解説:井口時男 | ||||
定価:1200円(税別) | ||||
頁数:19頁(文庫版) | ||||
ISBN4-06-196382-1 | ||||
カバーデザイン:菊地信義 | 初出:1991年7月号 『Switch』掲載 | |||
詩人 伊東静雄への想い | ||||
伊東静雄の詩「鶯」に触発されて書かれた短篇。伊東静雄から知る大江文学、大江スタイルへの理解。 |
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<冒頭> | ||||
(私の魂)ということは言えない その証拠を私は君に語らう 右の一節は、若い時のめぐり合い以来、つねに透明な意味をあらわしてきたというので はないが、僕にとって大切なものだ。しかも、最近、それとの関係に新しい光がさしてくる 体験があったので、ひとつ短かい物語をかくことにした。詩の書き手は、声高に語るとい う人柄ではなかったようだ。作品にもそれはうかがわれる。詩人の死後、おなじく好まし い寡黙さで、遺された作品を注釈し・編纂する研究者たちがあることも知っていた。 |
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<出版社のコピー> | ||||
障害を持つわが子と妻との日常、そして夥しい量の読書。 少年の日の記憶、生の途上における人との出会い。 「文章を書き、書きなおしつつ、かつて見たものを なぞる過程でしだいに独特なものをつくってゆく」という 方法意識の作家「僕」が綴る、表題作九篇の短篇小説。 切迫した震える如き感動、時にユーモアと諧謔をたたえて 還暦近づき深まる、大江健三郎の精神の多面的風景。 |
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<お勧め度> | ||||
☆☆☆★ 自選短篇作品 | ||||
詩人 伊東静雄 |
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伊東静雄 1906年(明治39年) - 1953年(昭和28年) 作品:『わがひとに与ふる哀歌』 『夏花』 『春のいそぎ』 『反響』 『反響以後』 「火をめぐらす鳥」に関係する作品は3点。『わがひとに与ふる哀歌』より <寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ> 輝かしかった短い日のことを ひとびとは歌ふ ひとびとの思ひ出の中で それらの日は狡(ずる)く いい時と場所をえらんだのだ ただ一つの沼が世界ぢゆうにひろごり ひとの目を囚(とら)へるいづれもの沼は それでちっぽけですんだのだ 私はうたはない 短かかつた輝かしい日のことを 寧ろ彼らが私のけふの日を歌う <鶯 (一老人の詩)> (私の魂)ということは言へない その証拠を私は君に語ろう − 幼かった遠い昔 私の友が 或る深い山の縁(へり)に住んでいた 私は稀にその家を訪うた すると 彼は山懐に向って 奇妙に鋭い口笛を吹き鳴らし きっと一羽の鶯を誘った そして忘れ難いその美しい鳴き声で 私をもてなすのが常であつた 然し まもなく彼は医学校に入るために 市(まち)に行き 山の家は見捨てられた それからずつと − 半世紀もの後に 私共は半白の人になつて 今は町医者の彼の診療所で 再会した 私はなほも覚えていた あの鶯のことを彼に問うた 彼は微笑しながら 特別にはそれを思い出せないと答えた それは多分 遠く消え去った彼の幼時が もつと多くの七面鳥や 蛇や 雀や 地虫や いろんな種類の家畜や 数え切れない植物・気候のなかに 過ぎたからであつた そしてその鶯もまた 地のすべてと同じ程度に 多分 彼の日日であつたのだろう しかも(私の魂)は記憶する そして私さへ信じない一篇の詩が 私の唇にのぼつて来る 私はそれを君の老年のために 書きとめた <(読人不知)> 水の上の影を食べ 花の匂いにうつりながら コンサートにきりがない |
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