2018年1月4日
杉原千畝と査証(ビザ)そしてJTBの貢献
明けましておめでとうございます。
皆さんは杉原千畝をご存知ですか。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため多くのユダヤ人がアメリカへの最後の逃げ道である日本経由を目指して、ポーランドからリトアニアに逃げ込み、リトアニア駐在日本大使館領事部に「日本の通過ビザ」の発給を請願した歴史に残る出来事を・・・。しかし、その後のビザ取得したユダヤ人の人達はどのようにアメリカに渡ったのかは語られていないので簡単に紹介したいと思います。
実は、私も知りませんでしたが輸送斡旋を依頼されたのがJTB(前身:ジャパン・ツーリスト・ビューロー)だったのです。在職中にJTB100周年記念ビデオを見て又、北出明氏著書の「命のビザ、遥かなる旅路」(交通新聞社発行)を読み、その後の陰で支えた人たちのことを知りました。
北出氏著書によるとニューヨーク全米ユダヤ人協会からウオルタ―・ブラウン旅行社経由JTBニューヨーク事務所に依頼があり本社では人道的見地から引き受けるべし・・・と危険を承知で受けたと記されています。
その逃亡先アメリカへはシベリヤ鉄道でウラジオストック、そこから海路で日本に渡りさらに海路でアメリカに渡るというものです。斡旋を担当した職員達やその道中で協力した日本人は命がけだったと思います。
当著書にはユダヤ人の逃亡に協力した人たちが詳細に書かれていますので興味のある方にはお読みになることを薦めます。良く調べたものだと感心しますよ。
最後にビザ(査証)のおさらいです(注意事項)。