2020年(令和2年)2月6日
海外添乗の思いで(1)
今だから話せる海外添乗の失敗談を含め古き良き時代の思い出として書いてみたいと思います。
まず、海外旅行事情から始めます。
当時は観光ビザも取得しなければいけない国が多く手続に手間のかかる旅行でした。特にアメリカビザ取得が厳しく申請窓口の前に立つといろいろ質問をされて緊張する場面でした。特に女性のビザ取得が大変でした。当時は日本女性がアメリカ人と結婚して永住権取得をすることが懸念されていました。沖縄もパスポートが必要な時代でした。今は日本のパスポートは無査証で行ける国が多く価値のあるパスポートとなって海外で窃盗団に狙われているので注意が必要です。
また、当時は為替変動制ではなくUS1ドルが固定で¥360時代でしたので日本での高額商品が海外旅行では免税で安く購入できるので日本人にとって魅力でした。なお、外貨の持ち出しは外為法により制限されていて大蔵省(現財務省)の許可が必要でした。地上費(ホテル、バス、食事等)を旅行会社がUS$で支払い引いた残りの分がお客様の持ち出し可能外貨ドルとなります。各海外旅行販売店はパスポートを持参し外国為替専門銀行・東京銀行(現三菱東京UFJに合併吸収)で査証ページに外貨ドルの許可を取得していました。
さて、私の初めての海外旅行ですが1971・2年(?)だったと思います。全日空・国際便就航記念で各旅行会社共同でチャータした香港便に自費で参加した時です。私も免税店(Duty-free Shoppers)でのショッピングが魅力で、特にウィスキーのジョニーウォーカーが買えたことがうれしかったことを覚えています。大切に3本持って帰りました。
そして、私の海外添乗の始まりは上司に海外旅行添乗研修を受けたいと申し出て研修を受けるチャンスを得てからでした。研修は一週間で内容は「海外添乗業務の基本(手続き)、日程表作成と旅費計算、世界地理と各観光都市と歴史、英会話」だったと思います。
研修後は理解テストを受け合格したら研修旅行(14+講師1名)が待っています。研修旅行地はロンドン・パリ7日間でした。ヨーロッパの基本都市です。添乗業務役をペアー制の一日交代で担当し夕食時に添乗役したペアーが同行した講師から辛口な評価と指導を受けます。
次回は添乗中の失敗談です。