2020年(令和2年)3月3日
海外添乗の思いで(2)
1970年代初期、海外添乗業務と云えば海外旅行専門支店(東京地区では海外旅行虎ノ門支店、海外旅行本社内支店、海外旅行日本橋支店等)の独壇場でした。一般支店では海外添乗のチャンスが少なかったので、海外添乗はパッケージツアー主催箇所(現ルックJTB)からの添乗員派遣要請があった場合に限られます。5月の連休や年末年始の繁忙期になるとルックツアーでも海外添乗員不足となるので、一般支店に添乗員派遣の要請がきます。現在はほぼ専業の専門コンダクターがやってますが、まだその頃は一般社員も添乗業務を担当していました。
その当時、JTB帝国ホテル内支店に勤務していた私は前回のとおり海外旅行業務研修を受けていたので、上司には添乗派遣要請が来たらぜひ私を指名してほしいとお願いしてました。
余談ですが海外添乗の場合は初年度又は2年ごとに海外添乗業務支度準備金が支給されていました。今では海外添乗は国内添乗と変わらないのですが当時は金銭的にも恵まれていました。さらに、年末年始はご苦労さん手当としてお年玉が支給されていました(1日US10ドルx日数)。いまでは考えられないことですよね。
さて、上司への依頼の甲斐があり、年末年始のルック添乗員要請が来ました。コースは「ルックイタリア、ジュネーブ、パリ」の37名の団体です。私は添乗員としては初添乗でしたので当時の外人旅行部専属通訳兼ガイドが補助添乗員として付いてくれました。
その頃、ヨーロッパには直行便がまだなく、行くには北回り便で米国アラスカ州アンカレッジ経由となります。日本人はJAL便の希望が多く年末年始のJAL便はいつも満席で、特に帰国便は南回り便のアリタリア航空便に振り分けられることもよくありました。南回り便はインド、タイ、香港等の熱い国を経由して、食事回数も多く 飛行時間も長いので体調を崩す人が多くいました。
さて、ツアー出発の数日前には主催箇所で引継ぎがあり現地事情、注意事項や予約状況等の説明を担当者から受けます。今回のコースでは予約が予定通りには確定していない箇所が3か所ありすべて現地での対応となってます。その3か所は@オプショナルナイトツアー(ムーランルージュ又はリド)、Aパリ中心部から近郊ホテルへの変更、B帰国便JAL(パリ〜東京)がウエイティングのまま、の3点です。すべて現地対応での出発です。年末年始は予定通りの予約ができないことが当たり前の時代で、あとは添乗員まかせ、まさに添乗員の腕が試されるツアーとなりました。不安を抱えながらの出発です!
次回は現地でどんなトラブルが発生したのか、その対応に悪戦苦闘したことを書きたいと思います。