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2020年(令和2年)4月3日

 

 海外添乗の思いで(3)

 

 1974年の年末、私の海外旅行添乗のデビューとなりました。海外旅行は1964年に渡航の自由化がされて、1970年代頃からブームが始まりました。海外旅行自由化後10年目ぐらいから徐々に大衆化されてきました。
 当時、パッケージツアーの代表と言えばLOOKとJALPAKでした。海外旅行そのものはまだまだ一般的ではなく、庶民には高嶺の花でした。高額であったため参加者は新婚旅行、医師などお金に余裕があるお客様だけだったのを覚えています。

 今と違って、ヨーロッパは特に予約コントロールの難しいデスティネーションでした。特に日本語のできる現地ガイドは少なく、ホテルに関してはオーバーブッキングや窓のない暗い裏部屋(大富豪の家を改造したり、その女中部屋?とおぼしきところ)で予約されていたり、また到着してからホテル名がやっとわかったりで、添乗員泣かせでした。しかし、当時のお客様は添乗員を信頼し、礼儀正しく行動をしてくれた時代でもあったと思います。そんな時代の「添乗の思い出」として書きたいと思います。

 

  1 夜行寝台列車内で盗難が発生

 ローマからジュネーブに向かう列車内で、鍵の掛かった寝台部屋に堂々と懐中電灯を照らしながら団員の貴重品を物色。2組のお客様(新婚と歯科医の職員)が現金のみを抜き取られた。お客様は添乗員が夜中、見回りしているのだと思って「添乗員は大変だな〜」と思いつつウトウトしていたとのこと。団員の一人がトイレに起きた時に犯人を目撃して発覚。あとでわかったことですが車掌と強盗はグルだったのです。幸いにも2組とも所持金は現金とトラベラーズチェックに分散して持参していたので、被害は少なく、悔しさはあったが盗まれた現金の方は諦めてくれました。ジュネーブ到着後、所定の手続きとして盗難届を警察に提出。日本では考えられない盗難事件でした。

 

   2 人気オプショナルナイトツアー・リドショー

 オプショナルツアーは現地受付、販売なので前日にお客様(37名)に予約状況(20名分のみ座席が確保)を説明の上、申し込みを受けます。人気ショーですから当然全員が参加希望。苦肉の策としてジャンケンで決めることを提案。ところが歯科医の先生がジャンケンで決めることに対して大声で怒鳴りまくり、ホテルフロント係員は驚いていました。しかし、幸いにもこの歯科医の方がジャンケンに勝ったことで文句を引っ込めて、大きなトラブルにはならなかったのです。このとき「人間のサガ」を感じました。参加できないお客様には「ものまねとオカマショー」をご案内しました(70フランスフラン)。
 さて翌日、おかまショーの評判はとても良く、バスの中はこのオカマショーの話題で盛り上がったものです。一方、リドショー参加者は疲れからほぼ全員がウトウトしてしまい、ショーの内容を覚えていないということになってしまいました。
 結果的に全員で大笑いしてしました。ほっとした瞬間でした。

 さらに次回に続きます・・・