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2023年(令和5年)1月1日

 

 

 昔の国鉄今のJR、そして京都旅行の思い出(1)

 

 昨年(2022年)、長男がレンタカーで案内してくれるということになり、11月15日から3泊4日の日程で「紅葉の京都」旅行を堪能してきました。それ以前の京都旅行と云えば、なんと自分自身の高校での修学旅行。次はJTB社員になってからで、かれこれ遡ること40年以上も前になります。千葉県のとある中学校の修学旅行を引率したときのことです。旅行会社に勤めていてもなぜか京都は遠いところでした。

 40年前というのはまだJRが国鉄(正式名は日本国有鉄道)と呼ばれていた時代です。JTBもまだ日本交通公社という社名でした。私が日本交通公社に入社した頃(昭和41年)、当時一般企業での入社試験では“三公社五現業”の“三公社とは何かを答えよ”という問題がよく出題されていました。多くの人が「日本電信電話公社、日本専売公社、日本交通公社」とついつい答えてしまうからです。当時の朝日新聞の声欄には “交通公社は民間企業なので社名を変えるべきだ”という投稿が小学校の社会科の先生からあったそうです。しかし「公社」という名称を使ったのが他の公共企業よりも「日本交通公社」の方が早かったということと、すでに交通公社という社名が社会全般に浸透していたので変えられないということになりました。

 今では修学旅行(教育旅行)の移動輸送方法は団体専用列車から新幹線を普通に利用しての修学旅行専用方法に変わりました。京都までの旅行もずいぶんと快適なものになりました。新幹線はご存じの通り東京オリンピック開催に合わせて1964年10月に運行を始めています。しかし、開業当時ではまだまだ中高学校の生徒が新幹線を利用して修学旅行をするということは少なかったのです。

 一般的には修学旅行では臨時団体専用列車を利用していました。京都まで途中駅で停まることはありませんが、それでも7時間以上かけての移動ということになります。生徒たちは品川駅か東京駅の団体専用待合広場で集合して、そこで先生や添乗員から車中での「注意事項」の説明を受けます。専用列車の車内設備ですが、その当時のことですから当然、暖房設備はあっても冷房機能はありません。座席はボックスタイプの4人席で、しかもリクライニングもない硬い座席でした。夏は窓を開けっぴろげにして風を入れ、熱風で涼をとるしかありません。今、考えると地獄絵のような車内でした。それでも、車中で生徒はトランプで遊んだり、はやり歌をコーラスしたりして楽しく青春していました。また、先生方は生徒とのトランプゲームに興じながらも、煙草(どこでもたばこが吸えた時代)をもうもうとふかしていて、車内はいつでも煙でむんむんとしていました。添乗員(当時は観光屋と呼ばれることが多かった)の私は、“やかん“にお茶や水を入れて先生や生徒たちの間をコマネズミのように走り回り、給仕に忙しくしながら京都に向かいます。当時の修学旅行の添乗業務では夜の先生方接待のためにも酒は強くなければならず、かつ”やかん”給仕のために体力的には頑健でなければ務まりませんでした。今ではその当時の辛かった様々な経験がいつしか楽しい思い出となっており、私の脳裏に焼きついています。

 現在では東京から京都までは新幹線のぞみ号で2時間ちょっと。現地での見学・見物時間が十分に取れるようになったことで、先生も添乗員も、勿論生徒さん達にとっても楽になったのではないかと思うこの頃です。

 次回は私の紅葉の京都旅行3泊4日です。